日本の代表的な哲学者、西田幾多郎の著書『善の研究』と、その著のあとにも更に思想を深めた「絶対矛盾的自己同一」を、2019年秋放送Eテレ「100分で名著」で解説したのはカトリック信者で、東工大の教授の若松英輔さん。私と同い年です。
ことばの枠に当てあめずに、ことばにする前の直観の体験の大切さを説明します。ひとりの日本人として、なるほど、そのとおりだと思います。
その解説を受けて、「インターネットサイトの「食べログ」の口コミや評点を観たうえで食べに行く前に、たまたま入った定食屋で食べて美味いと感じることと同じ」という伊集院光さんの感想も納得します。
では、「初めにことばがあった」というヨハネ福音書の冒頭のロゴス・キリストの世界観を若松さんはどう受け止められているのでしょうか?単に西洋と東洋の違い?日本人のクリスチャンが素朴に疑問に思うことかもしれません。一度うかがってみたいものです。
とにかく、評価・分別する前の自分の直観が大切、ということが最大のポイントです。これは渡辺善太さんが『聖書論』で言う「聖書をそのまま読め」ということと同じかもしれません。いろんな注解書、解説書を経由しないで、自ら聖書を開いて読むことの大切さを述べているからです。
カンフー映画のヒーロー、ブルース・リーの名言があります。
「考えるな、感じろ。」”Don’t think, feel.”
ここにも西田幾多郎の哲学に近い、深い真理がありそうです。しかし、違う点がひとつあります。「考えるな」と考えないことを判断させる時点でことばにする前ではない、分別の前ではない、ということに注意しなければなりません。