ジョン・シェルビー・スポングは、聖公会の主教でありつつ、しかし、伝統的な聖書の読み方とは違う読み方を提案した人物です。
彼の著書のなかで日本語に翻訳されている『信じない人のためのイエス入門: 宗教を超えて』では、イエス・キリストを神話から切り離し、歴史のイエスに迫ろうとする取り組みが丁寧に示されていて、目から鱗が落ちる思いがしました。なぜそう思ったか?なぜなら今日の時代は、私たち人間が含まれる生物、そして私たちの生きる地球と宇宙の成り立ちについて、科学で理解することの重要性が一層明確になってきたからです。
そうすると「科学が神を殺した」と言われることがよくあります。しかし私はそうは思いません。「科学」や「技術」が進歩しても、「人がなぜ生きるか?」、「人はなぜ死ぬか?」、それらのWhyの問いに科学は答えられず、ひたすらHowすなわち手続きでアプローチすることが「科学」の限界だからです。だからといって宗教者は決して傲慢になってはいけないのです。人間はそもそもロジカルな生き物ではないという説はたしかにそうかもしれません。それらを宗教のよすがにすると、人間の大切な取り組みの「科学」と「宗教」がすれ違い続けるばかりです。
しかし実際に、キリスト教の聖典である聖書の読み方についても、さまざまな「科学」的な研究がなされてきています。そうすると、聖書に書かれていることはそのまま神の言葉だという保守的な立場から、聖書の中の各書はさまざまな時代に、歴史的な背景のなかで人間によって書かれたというリベラルな立場までありえるはずです(たぶんほとんどの牧師はその事実を知識として知っていると思います)。そのときの課題は次です。
キリスト教の聖典の聖書をどう読むか?とくにイエス・キリストをどのような存在として新約聖書を読むか?つまり、旧約の、たとえば創世記の物語と同じく、イエスの言行を、物語として神話のように象徴的に読むばかりなのか?
こちらの課題には「科学」的なアプローチと同じく、開かれていなければならないと思います。そこでスポングのようなキリスト教徒でありかつ聖職であった人による新しい聖書の読み方は、私たち日本人にとって非常に参考になるはずです。
そのスポングの著書のなかで日本語に翻訳されているのは残念ながら一冊のみです。もっとスポングから学びたいと考えた私は日本語に翻訳されていない多くの著作の中で、
Liberating the Gospels: Reading the Bible with Jewish Eyes, ISBN 0-06-067557-8,1996
The Fourth Gospel: Tales of a Jewish Mystic, ISBN 978-0-06-201130-5,2013
の2つをいま大変興味深く読んでいます。
そのうちのひとつ、Liberating the Gospelsの目次、および、イエスの復活について取り上げている章を私訳しました。目次の私訳を紹介します。上の2冊とも、現代の日本でキリスト教を伝えるために、大変有用な書だと考えています。
ジョン・シェルビィ・スポング著『福音書を解放する』
副題:聖書をユダヤ教徒の眼で読む
副々題:イエスを2千年の誤解から解き放つ
目次:
はじめに
パートI 聖書の問題を理解する
1. 今日の信仰の危機:新しい疑問と新しい出発点を見つける
2. 福音書はユダヤ教の文書である
3. このユダヤ教の文書がいかにして異邦人に囚われるところとなったか
パートII ユダヤ教的観点から福音書のテキストを検討する
4. ユダヤ教のカレンダーおよびユダヤ教の典礼歴
5. マルコ:ロシュ・ハシュナーから過越し祭までのイエスの物語
6. マタイ:マタイをユダヤ教の枠内に入れる
7. マタイ:マタイをユダヤ教のレンズを通して読む
8. ルカ:第三福音書の鍵を開けるユダヤ教的手がかりを探す
9. ルカ: トーラーの順序を背景に語られたイエスの物語
10. 使徒行伝とヨハネ:極めて簡単な概観
パート III キリスト教信仰の物語における重大な節目をユダヤ教の目で観る
11. イエスの誕生物語におけるユダヤ教的星々
12. ヨセフ:影のような人物
13. 処女降誕伝説はいかにして始まったか
14. 彼は聖書にしたがって死んだ I
15. 彼は聖書にしたがって死んだ II
16.イスカリオテのユダ:キリスト教徒による創出?
17.聖書にしたがって死から起こされた I
18.聖書にしたがって死から起こされたII
19.昇天とペンテコステ:イエスの生涯がいかにしてエリヤの人物像によって形作られたか
おわりに 聖書とイエスの神存在(God Presence)に参入する