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受難節の期節に記そうと思っていましたが遅くなってしまい、復活節にアップすることとなりました。

受難節のいずれかの主日礼拝には必ずイザヤ書52章から53章にかけての苦難の僕の箇所を読むことになります。
なぜなら、イエス・キリスト自身がイザヤ書をよく読んで知っていて、自らの十字架への受難を、この「苦難の僕」になぞらえていたと考えられるからです。

そこで「苦難の僕」とは誰を指すのか、またこの「苦難の僕」の詩によってイザヤ書は何を伝えようとしているのかを考えてみたいと思います。

概論

イザヤ書は66章からなる。すべて前八世紀に記されていたと考えられていたが、いまは『高度批評』という考え方にもとづいで3つの作者(群)や時代に分かれる説が有力となってきた。苦難の僕のうたはその2つ目の時代と作者(群)に依ると考えられている。

第二イザヤの位置づけ

イザヤ書は『高度批評』によると大きく3つの部分にわけられる。1~39章は前八世紀の預言者イザヤの言葉を基本とした第一イザヤ書、40~55章は前六世紀後半の無名の預言者の言葉を中心とした第二イザヤ書、そして56~66章は、バビロン捕囚後のエルサレムで活動した通常第三イザヤと呼ばれる預言者の言葉を含む第三イザヤ書である。このうち第二イザヤ書は、最もまとまりがよい部分で、その多くの部分の由来である通常第二イザヤと呼ばれる預言者は後代への影響力が強い。

第二イザヤの歴史的背景

前587年、南王国ユダはバビロニア帝国によって滅ぼされ、その指導者層の多くはバビロニアの首都バビロンの郊外に捕え移された。そして、その状態は、前538年、新興のペルシャの王キュロスによって解放されるまで、約半世紀間続いた。これをバビロン捕囚と呼ぶ。第二イザヤはその捕囚末期に活動し始め、解放の時が近いとことを告げ知らせ、捕囚の民がエルサレムを中心とする祖国に帰還することを強く促したのである。従って、第二イザヤの言葉は概して慰めや励ましに満ちた救いの言葉である。

(『新共同訳旧約聖書略解』を要約)

第二イザヤの4つの「僕の詩」

  • 第一詩(42:1~4)            主の僕の召命
  • 第二詩(49:1~6)            主の僕の使命
  • 第三詩(50:4~9)         主の僕の忍耐
  • 第四詩(52:13~53:12)    

第一詩の「わが僕」は、神ヤハウェの霊を注がれ、「傷ついた葦」「暗くなった灯心」を守り導く国々の支配者。

第二の詩の「僕」は「イスラエル」と呼ばれ(49:3)捕囚にあるイスラエルを集め、これを回復する任務が託される。

第三詩には、逆に、人々に嘲られながらも、神ヤハウェに助けられ、義とされる「僕」が描き出される。

第四詩が最も長い「苦難の僕の詩」となる。

この四つの「僕の詩」に詠われる「わが僕」が全て同一人物であったかどうか、見極めることは用意ではない。確かなことは、最期の「苦難の僕の詩」において、「僕」の苦難が詳しく詠われ、その苦難が「わたしたちの罪のゆえであった」と理解されることである。(『旧約聖書にみるユーモアとアイロニー』月本昭男、教文館、2015年の122~123頁を要約)

「僕の詩」にみる「僕」とはだれか?

これまで幾多の見解が提示されてきた。代表的なものに、

  • 「僕」にイスラエルの民が重ねられているとみる<イスラエル説>(43:10,44:21など、第二イザヤにはイスラエル=ヤコブを「僕」と呼ぶ箇所が少なくない)
  • 「僕」は捕囚の民に解放のおとづれを告げた第二イザヤその人を指すとする<第二イザヤ説>(50:4)
  • 捕囚の民に故国帰還を許可したペルシア王キュロスを「僕」と呼ぶ<キュロス説>(44:28-45:1)
  • 将来、イスラエルに解放と回復をもたらすために登場するメシアが年頭におかれている、と解する<メシア説>
  • 第四詩の「僕」については、モーセやエレミヤといった人物を想定する<歴史的人物説>がそれに加わる。

(『旧約聖書にみるユーモアとアイロニー』月本昭男、教文館、2015年の123頁を要約)

苦難の神議論としての終末論

終末論は、歴史に神が顕現し、審判を決定的に下さないことにじれて、歴史を超えた終末に神が現れ義を示すことを待望する、一種の神議論としての性格を持つ。

「古代ユダヤ教史上、唯一真に本格的な神議論」に到達したのは一人、第二イザヤのみであるとして、彼の神義論を「苦難の神義論」と呼び、自余の「禍の神議論」と区別したのは、M・ウェーバー(『古代ユダヤ教』1920年)であった。この説について私は前著で詳しく検討した結果、ヴェーバーの表かは基本的には正しいこと、しかしこの神義論を「唯一真に本格的な神議論」たらしめているのは、ヴェーバーの言う、「不当な苦難」ではなくて、むしろ代贖一層そのものであることを確認した。すなわち、表記の断章は、イザヤ書52-13から53-12にわたる、有名な「苦難の僕の詩」と言われる第二イザヤの詩の一節だが、そこに集約される、苦難の僕による代贖の思想こそが、ヨブにも見られる「不当な苦難」と違って、旧約中類例がなく、第二イザヤの「唯一」の神義論を「唯一」足らしめている要因と考えられるのである。とすれば終末論を神義論として見直す時、第二イザヤの贖罪思想こそ、アモスらの終末論を超える唯一無比の終末論を形成されていることが予想されるのである。

『旧約聖書の思想 24の断章』、関根清三、岩波書店、1998年 268~269頁

第二イザヤの第四の詩の構造

神学者中澤 恰樹本田 哲郎高柳 富夫
(R.N.ワイブレイ)
52:13~15神「お前」=イスラエルメシアたる僕の死の意味と死後の栄光  神イスラエルわたしの僕は栄えるとの宣言。第四の僕の歌の序文。苦しみと痛みの中でこそ人は真実を直観するものであり、その真実を追求する生き方によって、真の意味での成功、酒を得る神 託宣。救済を告げる短い約束。53章の序文ではない。
53:1~3「われら」=預言者(を含むイスラエル)諸国民生前の僕の生い立ちと苦難価値の逆転が起こっているのを目の当たりにした、世の支配者と大成者?見栄えのしない主の僕は、人々から軽蔑され、見捨てられてきた。自分たちも彼を無視してきた、との告白預言者の仲間である捕囚民の一団。第二イザヤと親しいグループ捕囚の共同体全体第二イザヤがバビロニアの牢獄からの奇跡的な解放の宣言。そこまでの僕の苦難。
53:4~6「われら」=預言者(を含むイスラエル)諸国民僕の苦難とわれらの不義価値の逆転が起こっているのを目の当たりにした、世の支配者と大成者?代償としての苦しみ    自らを共同体全体と同定捕囚の共同体全体僕=預言者の苦難はヤハウェの癒しの言葉を自分達にもたらす宣教にとって重要な要素との認識。
53:7~10a語り手:「わが」預言者(を含むイスラエル)諸国民僕の代贖死。僕の苦難と死がイスラエルの罪と不義の代償であった価値の逆転が起こっているのを目の当たりにした、世の支配者と大成者?社会的な抑圧、制度による締め付けが大きすぎて「物が言えない」状態まで追い込まれている自らを共同体全体と同定捕囚の共同体全体僕=預言者が無罪なのに逆境を不平とも言わずにうけいれたことの強調
53:10b~12語り手:神イスラエル僕の「生命」が彼らの罪と「不義」の代償であったこと、そして、神による僕への報償預言者自身の言葉?苦しみの神秘の解き明かし。「背いた物のために執り成しをしたのはこのひとだった」と神は宣言してくださる。預言者の仲間、友人たち共同体全体ヤハウェが僕を死の危険から救済して長命で幸福な人生を享受させたことを喜び感謝する
僕とは預言者自身でもイスラエルでもなく、同時代のいかなる歴史的人物のモデルでもない。 比類なき終末的救済者としてのメシア。第一イザヤの王的メシア(9章、11章)でもなく、政治的解放者クロスのようなメシア(45:1) でもなく、それとは対照的な僕としてのメシア。・預言者=第二イザヤ。 ・「主の僕」が神の民イスラエルを指すからこそ、イエス・キリスト個人において成就した。そしてイエス・キリストにおいて成就したことは、新しいい神の民である全ての人に実現されるきこと第二イザヤ本人
主題代償苦。一人の義しい僕が多くの不義なる者の罪過を負って苦しみ、その苦難によって彼らを神の前に執りなす。 祭儀的概念の止揚。10節の「咎の償い」。僕は自ら意識して代償の死を遂げたのではなく、事後にそのことを知る。主の僕が受ける苦しみと痛みが他者のためであり、執り成しのためである。 社会の抑圧の構造の最底辺からの働きかけこそ、構造全体を正常する力を持つのであり、その正義の働きへの連帯を通して、「多くの人が正しい者とされる」共苦。僕は民の代わりに苦しむというより、民の苦しみを共有する。
不義とは  ・不義(ペシャワ) ・罪科(アーウォーン) ・罪(ハッター) その表れは唯一、6節「われわれはみな、羊のように迷いゆき、おのおのその道に向って行った」のみ。・背き(ペシャー)とは、正義と真実の神の掟を逸脱すること ・「咎」(アウォン)とは他人の権利を強引に折り曲げること。・mi ppesaeenuとは、背き・罪はいいのだが、前置詞minは のために、ではなく、結果として。 ・「罪を負う」(nasa het)という句は、出エジプト記とレビ記に専ら出てくるが常にその人自身の罪に対するその人の責任を言うのであり、贖罪との犠牲との結びつきではない。 ・naasaa awoonは身代わりの苦難をいうことはない。法に由来する四つの九(出28:38、レビ10:17、16:22、民18:1)がこの意味の証拠としうて引用されてきたが、「負う」という動詞の主語は苦難に全く関わっていない。
神のねらい神に不従順な多くの者を、神との正しい関係に立ち返らようとする。そのため僕が罪科を背負い、彼の罪が消し去れらえて神に受け入れられるように神にとりなす。この最後の僕の歌は無抵抗主義の推奨ではなない。富と権力を使わない弱者の抵抗をし尽くした後に、やがて行き着くところが「屠り場に退かれる子羊」(主の僕)の無言の抵抗、死。しかしそこに神の創造の力、無限の力が働き、「背いた者のために執りなしをしたのはこのひとであった」と宣言する
参考文献
『苦難の僕―イザヤ書53章の研究 』、中沢 洽樹、新教出版社、1954年
『イザヤ書を読む』、本田哲郎、筑摩書房、1990 年
https://noden.ac.jp/about/bulletin/
『福音と社会 第30号』代苦か共苦か 
イザヤ書53章「苦難の僕の歌」を読み直す
ーR.N.ワイブレイの注解に基づく試訳ー  高柳富夫、2015年

私の結論

「苦難の僕」の詩とは・・・僕(しもべ)の共苦であり、代苦である。

50年にわたるバビロン捕囚は、解放のときに、生き残った人たちもいたし、もうすでに死んだ人たちもいた。生き残った人たちは、自分達が生き残ったのは死んだ人たちのおかげである、という思いがあった。その思いがこの第四の僕の詩に現れている。また、その死んだ人たちの代わりに、彼らの分まで生きなければならない、という思いも持ったのではないか、と考えるからである。