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日時:2024年3月17日(日)10:30~
場所:日本キリスト教団代々木教会礼拝堂

<プロローグ>

◆イエスは、キリスト教を広める前に三つの誘惑にあいました。それは、①悪魔によって②荒野において③四十日の断食の後、でした。この三重の状況設定があることによって、この三つの誘惑とは、主イエスの教え、すなわちキリスト教にとって、きわめて重要な誘惑でした。なぜ重要かと申しますと、この誘惑がキリスト教の基本・本質に関わるものであり、これに敗北することは、本質を失うことを意味していたからです。
◆ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」が発表されたのは1880年です。その後30年たらずしてロシア革命が起り、レーニン、スターリンと全体主義国家が生まれました。そこでは自由は弾圧され、基本的人権が失われました。同じように、ヒトラーのドイツでも国家社会主義(ナチズム)のファシズムによって自由は失われ、基本的人権は奪われました。同じようなことは、第二次世界大戦終結までの日本についてもいえるでしょう。
◆それらの独裁の国々は、日本のように第二次世界大戦の敗戦によって、さらにその後50年ほどたって、ソ連と旧東ドイツをふくめた東ヨーロッパは、良心の自由と人間の平等を根底とした基本的人権を求める運動によって、崩壊しました。
◆ドストエフスキーは、この荒野の三つの誘惑に対するキリストの三つの答えは、人類の未来の歴史を表現していると言っているのです。ドストエフスキーの言葉通り、かれが『カラマーゾフの兄弟』を書いてから百年間ばかりの間に、いくつも登場し、ドラマティックに崩壊したのです。ドストエフスキーの驚くべき見事な予言といってもよいでしょう。いずれにしても、それは良心の自由・自由意志に基く選択の自由の重要性を証明する20世紀の出来事です。しかし21世紀に独裁主義・全体主義を一層固くしている国々があります。
◆先々週の読売新聞を読んで知りました。ロシア正教会のトップであるキリル総主教が、プーチン大統領とその政権を一貫して支持し、ウクライナ侵略を正義の聖なる戦争であると述べていると。一方、侵略直後に、正教会の司祭たち200人以上が侵略の即時停戦を求める署名をしているそうです。「和解に導く手段を探すべきで、戦闘を促すのは正教会の教義に反する」とある司祭は言い、ロシア軍の戦争勝利の祈祷を拒否しました。
しかしそのような侵略反対の司祭たちの排除と弾圧は続いており、ゴルバチョフ大統領の葬儀を取り仕切ったことでも知られるウミンスキー司祭も標的になって聖職がはく奪されるような事態が起きているとのことです。
◆私は日本人の熱心な正教会の信徒がいらっしゃるのを存じ上げています。信徒や司祭ではなく、正教会のトップの人物が闇の深い国家に、そしてその戦闘行為に迎合する姿勢であることを非常に残念に思います。