information

場所:日本キリスト教団代々木教会礼拝堂
日時:2024年4月28日(日)10:30~

◆4/28の礼拝では、エリコの町を通り抜けようとしていたイエス・キリストに、微税人ザアカイが出会って回心した、という出来事からメッセージしました。

◆ザアカイはイエスを「見よう」として道の上に広がるいちじくの木に登り、そこから「見おろそう」としていました。この行動はザアカイの人生を象徴するものであったかもしれません。徴税人の頭で金持ちであったものの、同胞からは軽蔑され、背の低い小男のせいで嫌がらせにも遭っていました。彼には、同胞を見返す手段としては税金の過剰のとりたてにより私腹を肥やし、その財力にものを言わせる形で人々を「見おろす」ことが彼に残されたやり方でした。
しかし、彼の心には隙間風が吹いていました。それが、「イエスがどんな人か見ようとした」という言葉にあらわれています。物質では満たされない心をザアカイが持っていたことに、人間性の残滓を垣間見ることができます。

◆「見おろす」人生を送ってきたザアカイに突然、下からザアカイを「見上げる」形で言葉をかけてきたのは主イエスでした。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。」
このキリストとザアカイの目と目があった瞬間におきた機微を禅では「卒啄同時」といいます。

◆そして今朝は、詩人で画家の星野富弘さんの訃報に触れました。下の詩を思い出しつつ。神に愛された星野さんは御許に呼ばれて上げられたことと思います。

「いちじくの木の下に行けば
キリストの声が聞こえてくるようだ
『ザアカイ 急いで降りてきなさい』
教会に行けないから 時々
いちじくの木の下へ行く

そして ザアカイのように
うなずいて帰ってくる」(星野富弘)

◆主の平和を祈ります。