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日時:2024年3月3日(日)10:30~
場所:日本キリスト教団代々木教会礼拝堂

プロローグ:
◆私たちは日常生活の中で、人を赦すことがどんなに難しいことかはつねづね経験していることです。「あの人のやったことは一生忘れない、絶対赦すことはできない」という思いを持つことさえ稀ではありません。ですから弟子ペトロがイエスのもとにやって来て「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」と問うた問いの裏には、ペトロにすれば随分な譲歩があります。
◆しかし、このペトロの問いへのイエスの答えはペトロの予想をはるかに越えたものでした。「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」この、自分に対して罪を犯した人間を「無限に赦せ」というイエスの答えは実行不可能な無理難題のように見えます。
◆人を赦せない私たちですが、それでも私たちにもたまには、赦し難い思いをこらえて人を赦すことができると思わせられる場面があります。それは私たちの方に何の落度もなく、赦しを乞うて来る側に対して圧倒的優位な立場にある時です。私たちはその優位の高みから、赦しを与える権限をもっているかのように赦すということがあります。
◆しかし、この場合でも本当には赦していないことがすぐ明らかになります。例えば、その赦した相手がどこか別のところでまた同じような過ちをくり返したということを聞きつけた時、「やはり、あの時、あんな風に簡単に赦してやるべきではなかったのだ」とつい言いがちです。それは、前に「赦す」と言ったことは本心ではなく心のどこかで赦してはいなかったということになります。
◆では・・・圧倒的優位の高みからでもなく、自分は赦してほしいけれど人を赦しはしないというのでもない、私たちの赦しはどんなレベルにおいて可能なのでしょうか?