私はここ何年にもわたって、新約聖書、そのなかでも、福音書の学びをしています。「福音書とは、そもそも誰に向けて、何のために書かれたのか」が学びの趣旨です。
その成果を、近いうちにまとめることができるとよいと考えています。
なお、1980年代から、アメリカではイエス・スタディが行われてきました。これは、聖書学者たちが、福音書の中で、歴史のイエスが言ったことはどれか?ということを、決めていくものです。
それは大変興味深い研究ですが、歴史上のイエスが言ったことだけがキリスト教信仰の全てではないでしょう。
そこで、一つの詩を紹介したいと思います。
Love
Love bade me welcome. Yet my soul drew back
Love George Herbert 1593-1632
Guilty of dust and sin.
But quick-eyed Love, observing me grow slack
From my first entrance in,
Drew nearer to me, sweetly questioning,
If I lacked any thing.
A guest, I answered, worthy to be here.
Love said, You shall be he.
I the unkind, ungrateful? Ah my dear,
I can not look on thee.
Love took my hand, and smiling did reply,
Who made the eyes but I?
Truth Lord, but I have marred them: let my shame
Go where it doth deserve.
And know you not, says Love, who bore the blame?
My dear, then I will serve.
You must sit down, says Love, and taste my meat.
So I did sit and eat.
下記はこの詩の私訳です。
愛
愛(イエス・キリスト)は私を喜んで迎えた。しかし、塵と罪にまみれた私の魂は後ずさりした。
しかし、目ざとい愛は、入口で私がひるんでいるのを見て、私のそばに近寄り、何かをなくしたのかと聞いた。
「この場にふさわしい客が不在なのです」
愛は言った。「それはあなただ」
「この、不実で、恩知らずの私がですか。ああ、敬愛する方よ、あなたをこの目で見ることができません」
愛は私の手をとり、笑いながら答えた。「あなたの目は誰が作ったと思うか。私ではないか」
「主よ、確かに。しかし私はその目を汚しました。私の恥をそのふさわしい場所に去らせてください」
愛は言った。「あなたは知らないのか」「誰がその咎を背負ったのだ」
「敬愛する方よ、私はあなたにお仕えします」
「座りなさい。そして、私の食事を味わいなさい」
そして私は座って、食事をいただいた。
この詩は、ひとつの完結した物語のようであり、そして、人間の罪と、人間の罪をあがなわれたイエス・キリストの本質を表現している詩の形式をとった寓喩です。
言葉を尽くして説明してもわからないことがありますが、しかし詩や文学ならば読者はそこに自身を委ね、没入することで体得する経験ができます。私はこの詩を通して、愛なるイエス・キリストに出会い、言葉を交わしたように感じました。
Dedicated to Mr.G












