日時:2024年7月28日(日)10:30~
場所:日本キリスト教団代々木教会礼拝堂
<プロローグ>
◆私が務めるキリスト教主義の幼稚園のある園児の母から聞いた話です。大切にしてくれ、よく一緒に遊んでくれた祖母が亡くなった。葬式で子は大泣きした。その子どもは現在年中のクラスだが、祖母が亡くなったのは、幼稚園に入園する前の事であった。「僕もいつか死ぬかな、死んだら天国にいっておばあちゃんに会えるかな」とある夜、眠る前に涙を流しながら母親に言ったそうです。
◆そして別の夜に「お母さんは何十年もしたら、おばあちゃんになって白髪になって、僕よりも先に死んでしまうんだね。でも、僕が年を取って死んだら、また天国でお母さんに会えるよね」と言って眠りにつきました。
◆眠りと死は人間にとって類似する事象かもしれません。就寝前に自分はどこに行くかについて、すなわち、死について想いを巡らせる。この4歳児には死への恐怖心があり、かつ「死が終わりではない」、というキリスト教にある命の捉え方をし始めていることを感じました。
◆ポール・ゴーギャンの有名な絵に、次の長いタイトルの絵があります。『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』こちらは、ゴーギャンの人生の晩年の、1897年から1898年にかけてタヒチで描かれた作品です。ゴーギャンは、少年時代の11歳から16歳の間、フランスのオルレアン郊外のラ・シャペル=サン=メスマン神学校の学生でした。そして、この学校には、カトリックの典礼の授業もありました。典礼の授業の教師は、ゴーギャンら生徒たちの心にキリスト教の教理問答を植え付け、その後の人生に霊的な影響を与えようと試みたのです。
◆この教理の3つの基本的な問答はひとつめに、「人間はどこから来たのか」、ふたつめに「どこへ行こうとするのか」、みっつめに「人間はどうやって進歩していくのか」でした。これらのキリスト教問答からの学びは、ゴーギャンの心から、終生離れることがなかったようです。それが結実したのが、上の絵でした。
◆リチャード・ドーキンスという科学者がいます。かれは、動物は人間も含めて遺伝子の乗り物にすぎない、といいます。主役は遺伝子だと。ひとつの論です。そしていま、遺伝子の研究が進んでいます。2019年からの新型コロナウィルスのワクチンはmRNAというたんぱく質の遺伝子情報を利用したものです。
◆「遺伝」と言うと、お父さんかお母さんか、頭の良いひとや、芸術的なセンスや、ほかのひとに秀でた何かがあると、引き継がれる、と考えられてきました。
◆さらに、その遺伝子には、後天的な要素はない、といわれてきました。しかし、現代の科学の認識は少し異なります。
◆すこし難しい言葉ですが、エピジェネティクスといって、遺伝子情報は、親から子に引き継がれるが、そのスィッチがいつONになるのかはわからない、そこに後天的な影響もありえる、ということです。では、20世紀には後天的な影響がまったくないと考えられていた遺伝子情報は、21世紀には、後天的な、父や母の人生経験の影響もありえる、ということです。そうすると、そのボタンのスィッチは誰が押すか?ということになってきます。これは科学では解明できていません。そもそも、「なぜ」生まれたか、そして、「なぜ」人は生きなければならばならないのか、さらに、「なぜ」死ぬのか、に対して科学は何の答えも出せないのです。