2025年 11月 10日 (月曜日)に、東京望みの門の後援会に呼ばれて、お話をしました。
東京望みの門は、キリスト教会の信徒のかたがたが、虐待を受けた女性を守る施設の運営を支える貴重な働きをされています。
その際のお話の内容を下記に要約しました。
1「聖書:マルコによる福音書3章31-35節」
イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
マルコによる福音書3章31-35節
#私の家族とは誰か?
マルコによる福音書には、イエスの誕生物語がない。洗礼者ヨハネの登場からから始まる。
そして、イエスの家族の初登場は、上の聖書の箇所だがあまり良好な関係ではないことが感じ取られる。
福音書は、聖書の順のマタイ→マルコ→ルカ→ヨハネの順ではなく、マルコ(70年頃)→マタイ(80年頃)→ルカ(90年頃)→ヨハネ(100年頃)に執筆されたと今日はおおむね考えられている(諸説あり)。マルコ、マタイ、ルカによる福音書は共観福音書と呼ばれ、同じ内容が多数扱われているが、ニュアンスはそれぞれ異なる。
一方、マタイとルカにだけ登場し、マルコにはない記事がある。それはイエスの語録集の「Q資料」を情報源とする、という仮説が有力だがQ資料はいまだに見つかっていないので真偽は不明である。
今日の聖書に戻る。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコによる福音書 3章34-35節)。東京望みの門の皆さんの神の愛をもとにした献身的な行いは、まさに弱くされた女性の家族としてのものだと思う。
2「運を味方につける」
私は幼稚園の園長で教会の牧師でもある。日々の出来事のなかで、腹立たしいことがあっても、感情に任せて表現することは立場上まずない。そして溜まったストレス解消のために毎晩ビールを飲む。そういうわけで数年に一回の健康診断は恐怖である。特に肝臓に関する数値が黄色信号で済むか、赤が点灯するかが難関である。
##運の良さ##
2022年9月に開催された東京都私立幼稚園PTA連合大会の第二部は脳科学者の中野信子先生の講演だった。題目は「子育て・教育に活かす脳科学」。結論は「頭の良い子を目指すよりも、運の良い子に育てよう」であった。ポイントは、昨日と今日の違いに気づけるかどうか。気づけるならば、運の良い人に育っていくだろう。例えば園生活だと、保育室の掛時計の位置が変わったことに気づくなど、何か昨日と違うことに気づけるならばこの世でサバイブできる力を身に着けられるかもしれない。
##運が悪い?##
私の友人で、新聞社のカメラマンがいる。彼はシフトの時差出勤した日の夜、トランプ大統領による対米関税が発表されたのでその日の勤務は長くなると腹を括っていたところ、同僚や上司から、今日はこれ以上の情報は出ないのでもう帰っていいと言われて退社したのが夜10時。徒歩で帰っている時、歩行者信号のない道を横断している途中、大型バイクが体の左側から衝突した。バイクの運転手は19歳の男性。ブレーキを踏んだ痕跡がなかった。
彼は吹っ飛ばされた。しかし着地した時に意識はあったという。まだ生きているから生き延びなければならない。道路交通事故では後続車両に牽かれることが死因になることが多いので、それだけは避けたいと考え動こうとしたが、下半身が全く動かないので諦めた。何ができるだろうかと思いめぐらす。その時に何が起きたか?
緊急事態に気がついた走行車が、彼を覆い囲むように道路に停車し、ハザードランプを点けて守ってくれたそうだ。ジャーナリズムの世界に身を置く友人の回想談は「日本も案外捨てたものじゃない」。そしてERで搬送され、緊急手術で致死的な出血多量から生還した。頭を打たず、背骨も損傷していないので、この世の暮らしに復帰できそうだ。医者からは「あなたは運が良い」と言われ続けたそうだ。
彼もよく酒を飲んだ。三ヶ月半に及ぶ入院期間は絶酒生活だった。見舞いに行くと、「早くビールが飲みたい」と言っていた。彼は、腰骨が砕け左下半身を甚大に損傷したものの、内臓の数値は著しく改善したことだろう。しかし、ダラダラと平和の中で飲み続けている私の内臓の数値は次の健康診断で逆を示すかもしれない。
何が言いたいか、というとそれは「運が良いとは何か?」。それは生き延びることである。どんなことがあっても命を失わない。それを守るのが園生活の時間であり、幼稚園で子どもに最も身につけてほしい能力ではないだろうか。
運の良さがあれば、この世で生きていける。神様に与えられたこの世の命を軽んじず大切にすること。それが神の御心をこの世で行うことにもつながることだろう。
2025年11月10(月)13時30分~












