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「人間は遺伝子の乗り物にすぎない」で有名な科学者ドーキンス。徹底した無神論者のドーキンスの言葉にキリスト教徒の私がどう感じるか興味津々で、図書館で今日借りて読みました。
〇宗教不要
・すべてとは言わないものの宗教は「悪」の温床になりえる
・宗教間の戦争、ユダヤ人迫害などを挙げる
→これには反論します。宗教戦争は表面であり実際は違うと思うからです。宗教を持っている人にも戦闘的な人からそうでない平和的な人までいろいろいますし、戦争や紛争は政治やナショナリズム、民族意識と関係が深いです。本来宗教が教えていることは、キリスト教もイスラム教も平和であるはずです。

〇不可知論NG。一時的不可知論・恒久的不可知論の両方NG
→一部納得します。不可知論の立場から神学は語り得ないと思うからです。そしてそれをする宗教学者の言説には時々うんざりするからです。
しかし、日本人の私からの視点ですが不可知論NGは寛容さに欠けるとも感じます。なぜなら神がいるか人間に本当にはわからないから不可知、という立場はあり得ると思うからです。ドーキンスさんがこの本のなかで自分の仲間のように、あるいは師匠のように取り上げる物理学者のアインシュタインが無神論かどうか。アインシュタインは人格神には否定的ですが神自体を否定していないのでドーキンスさんが否定する不可知論のジャンルに入るのではないでしょうか。

〇パスカルの賭けに対してパスカルの逆の賭けの提案
・神を信じないほうに賭けてもよいのではないか
・結果的に賭けに成功してヤハウェではなくバアル神がでてきたらどうするのかという(意地悪い)たとえ
→これは日本人ならば、親鸞の「法然上人に従って念仏を唱えてだめだったとしても後悔しない」という賭けでよく知られている賭けの心理です。無批判に信仰を持つのは違うよという主張が根底にあると思います。しかし逆側の賭けで幸せになることができるのか私にはわかりません。性善説と性悪説の違いかしら。私は性悪説に立っています。

〇ヨハネ福音書のイエスと、ルカ・マタイ福音書のイエス像の違いの指摘
→ドーキンスさんは、聖書をよく知っておりアメリカのイエス研究の実りを理解されています。私も原理主義(聖書無誤謬説)には反対です。無批判に聖書を読んで信じることから自由にならなければならない、という点には賛同します。

〇イエスとパウロの違い
・イエスは「汝の敵」にユダヤ人以外を想定していなかった。
→確かにキリスト教が世界宗教になったのはパウロの存在が大きいです。しかし「サマリア人の譬え」はイエス研究で歴史的なイエスに遡ることがでいると考えられています。イエスがパウロと全く別の発想でユダヤ人のみの救済を考えていたのではないと思います。

〇時代精神の移り変わりに宗教がついてこれていない
→イエス研究の実りや科学の研究成果を受けて、キリスト教徒は聖書の読み方が変わっていいと私は考えます。あと、ダーウィンやコペルニクスから始まった今日につながる科学。「科学は神(宗教)を殺した」と言われますが、ほんとうにそうでしょうか?
なぜなら人はなぜ生まれるのか、なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか。科学は手続き(How)でこのWhyに近づこうとしますが、いまのところWhyには辿り着けていないと思います。生き続ける原理は動的平衡という言葉で説明できるとしても。

〇親や祖父がカトリックだったらカトリック主義学校へ、プロテスタントならプロテスタントの学校へ
・そうして無批判なそれぞれの信者がつくられる
・そこに悪い教育がある
→親がプロテスタントで教会学校出身の私はそれに該当します。しかし人生にいろいろと迷い、仏教も学んでプロテスタントになった経緯があり、子どものころのキリスト教教育はそんなに悪いことではなかったと個人的には実感します。ただひょっとすると立場の弱い子供に対して、押付け、強制・虐待はありそうです。しかしそれは人間が不完全だからということだと思います。宗教がそれを助長しているというならばアメリカ・イギリスは特にそうなのかもしれません。
なお、同調圧力が大きい日本の教育界では違う問題がありました(あります)。体罰や国旗掲揚・国歌斉唱です。特に国に強要されるのは怖いですね。ドーキンスさんの自由な学風への思いにはある程度共感します。

〇人間原理への疑問
→難しくて保留します。しかし、上のとおりなぜ人は生まれ、生き、死ぬのか?ここにドーキンスさんは答えていないと思います。

<雑感>
・聖書無誤謬主義・原理主義への批判には私は同意します。
・科学者の責任として、宗教への批判を、例えば日本のような国ではなくアメリカやイギリスでするのは勇気が必要だったことと思います。
・欧米の一流の科学者は、ドーキンスさんやウィルソンさんのような徹底した無神論か、信仰をもつか立場をはっきりさせているところが面白いです。