A4一枚の紙におさまる文章量でキリスト教について書いてみました。
①キリスト教の信仰の中心は、「イエスはキリスト(救い主)」、「私たちの主はイエス」というものです。まとめて「私たちの主イエス・キリスト」と言い表されます。全ての人を浄土に往生させるとの願を立てた阿弥陀仏にすがることを説く浄土真宗は、自分の行いで義(神から良し)とされるのではなく、主イエスを信じることによって義とされると説くキリスト教に似ていると言われます。
②イエスは、西暦前五年ごろに生まれ、ユダヤ教の中で育たれました。そのころのユダヤ教は、旧約の最初の五巻(モーセ五書)と預言書を主な典拠とし、エルサレム神殿での儀式と各所の会堂での集会、そして家庭での宗教律法の遵守で、信仰生活を守っていました。そのようなユダヤ教社会のなかでイエスは、西暦二十八年ごろ「神の国は近づいた、悔い改めて備えなさい」ということと「自分のように隣人を愛しなさい(もっと強い表現としては、敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい)」です。
③しかし、西暦三十年ごろ、イエスは、何の罪も犯されなかったのにもかかわらず、捕えられ(イエスは全く抵抗されなかった)、当時イスラエルを統治していたローマ帝国の総督およびユダヤ教の指導者と民衆によって、むごい十字架刑に処せられました。この殺されたイエスを、神が復活させて、弟子たちに示されたので、弟子たちはこの方こそ「神の子」「救い主」と信じ、周囲のユダヤ教徒に伝えるようになったのがキリスト教の始まりです。イエスの死と復活から、神が人間の死を克服された姿を見、イエスを殺した者の罪も、イエスを見捨てて逃げてしまったふがいない弟子たちの罪をも赦された(これがイエスの受難の意味だった)ことを知って、以後はひるむことなくイエスがキリストであること、そしてイエス・キリストによる罪の赦しと死が克服されたことを宣べ伝えました。また、「神は愛である」と告白しました。
④弟子たちは、イエスが神の遣わされた救い主だと信じ、復活のイエスにしたがうことによって、神の国(神が支配される所という意味)の姿を知ったのですが、まわりを見渡せば、まだ神が支配されていないので、当然近いうちに主イエスが再び来られ(再臨され)て、神が全世界を支配され、この世が一変するはずだと信じました。
⑤イエスを主と信じる弟子たちは、適当な家に集まって聖餐(ふつうの食事も含む)を共にし、神を礼拝し、そしてまわりの人々に(ユダヤ教徒だけでなく、それ以外の人にも)、それからもっと遠くの地へ、主イエスのことを宣べ伝えました。やがて教会堂が建てられ、そこで礼拝をしました。その間に、イスラエルの人々がいままで守ってきた規律や儀式のうち、主イエスを信じる信仰で打ち破られたことがいろいろあることを知りました。そのようなことをまとめてパウロや他の弟子たちが手紙に書き、また主イエスのご生涯について断片的に言い伝えられてきたことをまとめて文書にする人も現れてきました。
⑥たくさんの書物が出てきたので、それらのうち大事な書物だけをまとめて、それを信仰の典拠(聖典)としようということになり、西暦二百年ごろまでにほぼ決まったのですが、最終的には四世紀の終わりに教会会議で決定されました(新約二十七書)。そして、ユダヤ教徒が聖典としている書物(一世紀の終わりに決定されていました)も、イエス・キリストの出現を準備した書物として、聖典としました(旧約三十九書)。これら六十六の書物の多くは、文章として出来上がるまでには、追加・削除・改変・編集などで変化してきました。旧約書中、キリスト教信仰にとって重要な書物は、「創世記」、「出エジプト記」、「申命記」、「預言書(十五書ある)」、「詩編」などです。特異なのは、「コヘレトの言葉」と「雅歌」です。
⑦聖書の成立の信仰の歴史の中で、聖なる神(聖霊)の働きが確認され、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、霊なる神の三位の神が一体であるとして信仰されるようになりました。
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